89800円からの自費出版

出版の原点は「あふれる想い」

 青山ライフ出版の新刊、「新緑の五島列島 巡礼の旅」は、キリシタンの歴史や五島列島に興味のある人だけでなく、日々の生活にちょっと疲れを感じている方にもお勧めの一冊です。

 本書は、今年の5月、著者が3泊4日をかけて、51ある教会のうち20の教会を巡った旅行記です。それぞれの教会の歴史や、その建設に関わった島民たちのエピソードがとてもわかりやすく書かれています。教会の歴史は、キリシタン信徒たちの忍従の歴史でもあります。そうした信徒たちの想いに心を馳せてみると、現在の私たちは、なんて平和で穏やかな暮らしをしているのだろうと、その有り難さを実感することができます。

 島内の教会はどれも可愛らしく質素ですが、国や県の重要文化財に指定されているものもあり、建物の美しさを見て回るだけでも価値があります。五島列島教会めぐりガイドの最新版としても使えそうです。

 著者は「本を書くため」に五島列島の教会を訪れたのではありません。五島の教会を巡ることであふれてきた想いを「本」にしたのです。

「出版」の原点ですね。

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この書籍はインターネット書店アマゾンで買うことが出来ます。
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『聞き書き』のススメ

「限界集落」という表現を最近よく目にする。
過疎化によって人口の50%が65歳以上の高齢者となり、行事や冠婚葬祭などの社会的共同生活が成り立たなくなってしまった集落のことをいうそうだ。

和歌山県那智勝浦の旧色川村の小阪集落も限界集落で、現在28世帯で住民は約50人、平均年齢72歳の超高齢地区である。
そこに、関西の大学生11人が1週間滞在し、村のお年寄りから、山村の歴史や暮らしについて聞き書きをして、「むらの教科書」という一冊の資料にまとめた。

失われていく山村の生活を記録する貴重な資料になるのだろうが、注目したいのは、聞き書きの作業を通して、お年寄りと学生たちが「得た」ものだ。

昔の記憶をたどりながら、「話す」「伝える」という行動はお年寄りにとって、自分たちの存在意義を再認識し、活力を取り戻すきっかけとなるだろう。若者たちは、身近な生活を知恵と知識で豊かなものにしてきたかつての日本人の暮らしぶりに、新たな価値を見出すに違いない。

「聞き書き」はジャーナリズムの原点とも言える作業だ。聞いた話をまとめて、伝える。何かを書きたい、文章で何かを表現したいと思っている人は、是非、身近な人から話を聞いて、まとめてみたらどうだろう。同じ話が、「聞き手」によって全く違ったものになる。それが面白いところだ。話し手の個性と聞き手の個性が化学反応を起こして、新しいものが生まれるのだ。

おじいちゃん、おばあちゃんが健在な方は、「聞き書き」をして、是非、「本」にまとめてみることをオススメしたい。(親には聞けないことでも、おじいちゃんやおばあちゃんには意外にすんなり聞けるかも…それもまた良しです)

郷ひろみが「ダディ」を執筆したきっかけ

10年以上前の話だが、歌手の郷ひろみの離婚に至る告白本『ダディ』は、発売元の幻冬舎の社長、見城徹氏が仕掛けた企画本である。離婚届けを出した日に、本が発売され、離婚の記者会見は一切行わず、その理由は本を読めばすべてわかる、という仕掛け。とにかく離婚までは仲の良い夫婦を演じて欲しいという見城氏の要請に郷ひろみは見事に応えた(らしい)。

と、今回は芸能ネタから入ったが、書きたかったのは、見城氏が郷ひろみに本を書かせるきっかけとなった言葉。
それまで10年以上の親交があった二人だが、見城氏は離婚の半年ほどまえに郷ひろみからその苦しさを相談されていたそうだ。

「だったら本を書いてみない?書くことによって気持ちが整理されるだろうし、苦しさから救われるだろうし」

郷ひろみはゴーストライターではなく、自分で本を書いた。
そして、見城氏の目論見どおり、「ダディ」は大ヒットした。(内容や仕掛けについては、賛否両論あったが…)

本を書くということは、自分と向き合うことに他ならない。
セルフカウンセリングに「書いて自分を知る」という技法がある。
そこにはもちろん、ルールがあって、「思っていること」と「感じていること」を明確に分けたり、「言葉にしたこと」と「思っていること」が違っていたら、それは何故なのかを洞察してみたり。

書くことは自分が思ってもみなかった「自分」に出会うことなのだ。

郷ひろみは「本」を書いて、自分がまぎれもなく「郷ひろみ」であることを再認識したようだが…。


意図しすぎない「自費出版」の快挙


最近、色々な出版社が狂言を「絵本」として出版し、人気を集めているそうだ。

保育園や幼稚園などで読み聞かせにも活用されていて、繰り返しのフレーズや、ちょっと変わった擬音語に子供たちは面白がって、すぐ覚えてしまうという。
狂言と絵本という組み合わせをした「企画」の勝利だな、と思う。

自費出版で大ヒットした「B型自分の説明書」も「企画」がハマッた作品だ。

もちろん出版社が「意図」して「B型」のみを出版したのではない。
普通、血液型の本と言えば、より多くの読者を獲得するため全ての血液型を掲載する。あえてやるなら、全ての血液型を1冊ずつ分けて、同時発売だ。

でも「B型自分の説明書」はそんな出版社の「意図」で生まれたのではなく、著者が書きたいことを書いた自費出版。変り者の誉れ高い「B型人間」の心をつかんだのが勝因だ。

のびのび書く、書きたいことをかく、自分が面白がる、売れ行きなんて考えない。

意図しすぎない「自費出版」だからこそ出来た快挙なのだ。





西原理恵子の「この世でいちばん大事な『カネ』の話」


「毎日かあさん」の作者、西原理恵子がスゴイ本を出した。
貧しさゆえに行き詰まった生活から抜け出したいと、高知から上京し武蔵野美術大学に通い始めた著者。自分の絵が下手なことに気づき、それを逆手にとり、なんとか生きる道を探る。陽のあたらない場所で生きる人々の悲しさと逞しさを、温かいまなざしと辛口なギャクで笑いとばす漫画を描いて、次第に認められていく。やがて、戦場カメラマンの夫と結婚し出産。夫のアル中、DV、自身のギャンブル、離婚、アジアで知った貧しい子供たちの現実、夫のがん発病、大事な自分の家族…。
そんな壮絶な人生を生きてきた西原は、「お金」を切り口として自分と世界との関わりについてするどい洞察をする。

いわゆる自伝的エッセイだが、自分や周囲を客観的に観察し、どうやって生き抜くかを自分で考え、行動していくその生き様は感動ものだ。(本当はこんな簡単な言葉でかたづけたくないのだが…)

よく誰でも一冊は「本」がかけるという。
自分の人生を書けば良いからだ。
他人から見れば平凡な人生であっても、その人がどれだけ真剣に人生に向き合ってきたかによって、その自伝は輝きを放つ。同じように見える体験でも、実は同じ体験はひとつとしてない。現実をどう感じ、どう考え、どう行動し、どう切り抜けたか。そして、今、人生をどうとらえているのか。そんな自伝を読みたいと思う。

2007年問題と騒がれた団塊世代のセカンドステージの幕開けにともない、自分の人生を書いて残しておきたいと思う人々も増えてきた。

是非、今、書いて欲しい。いつか…ではなく、今。
今、書くことは、まだまだ続く未来を、子供や孫のこれからの人生をより豊かにすることなのだから。

カッコいい自費出版

昨夜のテレビ東京のワールドビジネスサテライト(WBS)では、低迷する出版業界の流通について、変化を感じさせるトピックを伝えていました。

日本の出版流通業界の複雑さは、なかなか理解しづらいものです。

出版と書店の間に、日販、トーハンといった取次ぎ業者が存在し、
一般的に書店に並ぶ本は取り次ぎ業者を通して納入されます。

そして、再販制度というさらにわかりづらい仕組みがあります。
書店は納入した書籍が売れなければ、取次ぎを通して出版社に返品することができるのです。
出版社は、流通のいったりきたりで汚れてしまった本のカバーを架け替えたり、磨きをかけて、新品にして、次の注文に備えます。

しかし、そんな努力も空しく…本の返品率は40%にまで達しています。

番組では、

●取次ぎを通さず、書店と直接取引きをする個性的な出版社、
●ガラス張りの編集部で作った本を同じフロアの店舗で販売する書店、
●再販制度は無駄な流通を生み、販売に対する責任感を弱めてしまうと指摘する出版人

などを紹介。

皆、低迷する出版業界に一石を投じたいという熱意からの挑戦です。

もちろん、そこには緻密な計算や冷静な戦略があります。
クールで熱い挑戦ってカッコいいですよね。


自分の思いを文章にして、それをとにかく本にしたい…
そんな情熱を持っている方はたくさんいます。

何かを伝えたいという熱い想いをもちつつ、
自分は何のために本を出すのか、
何冊作ればいいのか、、
誰にどのように本の存在を伝えていこうか、
…といったことを、クールに考えて本つくりに挑戦できたら、
きっと、それは「カッコいい自費出版」になるんだろうな、
と思いました。

「カッコいい自費出版」…なんか素敵ですね。























あらためて…

お久しぶりです!

昨年のリーマンショック以降、世の中は激変していますね。

自費出版に対する考え方も時代とともに変わっています。

とにかく書いたものを本にしたい、自己表現したい、想いをカタチにしたい…といった本来の自費出版を目指す人が増えているような気がします。

このブログでは、あらためて自費出版の役割、それがもっている力、満足する自費出版などについて考えてみたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。




自費出版と商業出版

自費出版と商業出版――。

みなさんはこの違いをどのように捉えていますか。
もしかして、
商業出版はレベルが高いもので
自費出版はレベルが低いものだと思っていませんか。
それは大きな偏見です。

宮澤賢治の詩集や童話など
古典的な傑作でさえ
当初は自費出版だったのです。
内容の良し悪しやレベルと
出版形態はまったく関連性はありません。

出版形態の違いは、もっぱらその目的の違いからきています。

商業出版とは読んで字の如く
商業のための出版です。
売って利益を上げるのを第一目的とした出版です。
そのためにあらゆる手立てを講じます。

これに対して自費出版は
売れるのに越したことはありませんが、
売るのは二の次にして
それ以上に大事なものを優先しています。
それは作者の思いです。

売れなくてもいいから
どうしても伝えたい、残したい
これだけは言っておきたいという思いがあるから
人は自費出版するのではないでしょうか。

たとえばこういうニュースを見れば、それがよくわかります。

http://cxrjk924.seesaa.net/article/37174114.html

自費出版のススメ

提言

自費出版に対する世間の理解はまだまだ発展途上です。
大手企業の過剰に期待を抱かせる「儲け主義」の手法に対する
批判などもあって、一部に悪いイメージさえ出ています。

自費出版自体は日本文化の重要な担い手であり、すばらしいことであるのにこれは残念なことです。

「自費出版こそ出版文化の中心」ということを忘れないでいただきたいです。商業出版は商業(利益)のための出版です。それに対して自費出版は、おカネを払ってでも世に出したいという著者の思いがこめられているものです。もちろん、個人個人の技量の差はあるでしょう。商業出版の方が平均的に技量の高いものが多くなるのは当たり前です。

けれどもだからといって自費出版をさげすむのはおかしいことです。それは偏見です。

「プライドがあるから自費出版はしない」といった意見を聞くことがありますが、ちょっと違うなと思います。プライドがどうこうの問題ではないと思います。

たとえば100年後、未来の歴史学者らが今の時代の資料を調べるときに、さまざまな文献を探すでしょう。そのときに、「この資料は商業出版、これは自費出版」と区別をするでしょうか。

ありえません。出版物はすべて一緒です。問われるのは内容だけです。そう考えると、「自費出版こそ出版文化の中心」という意味がわかると思います。

タグ:自費出版
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